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やはり書くのはたのしい。きもちがいい。よろこびを感じる。馬が草原を駆けるとき、きっとこういう気持ちなのだろう。
私、藤原が双方向のコミュニケーションが上手でないことはここを読んでいる方々であればご存じのことと思う。あらゆるコミュニケーションとは矢印の大小はあれど双方向のものであるゆえ双方向のコミュニケーションというのは不格好な日本語であるのだが、とにかくそれがうまくない。ヒトのコミュニケーションの基本は話し、聞くことである。あなたの言うことを聞き、私の言うことを聞いてもらう。それが健全なかたち。その健全なかたちをうまく構築・維持できない。
いまどき対人コミュニケーションが苦手な人というのはさしてめずらしくもなく、おでんの什器がないファミマぐらいの割合で見受けられる。もはや現代においてふつうの範疇。ここで「おいらコミュニケーション苦手なんだぴょ~!」ということを誇らしげにわめきたいわけではないんです。おいらがここで示したいのは”型”。コミュニケーション苦手道の流派。
私はひとりごとタイプだ(開示)。
基本的に社会生活においては義務以上に人と話すことはない(そのわりには義務はちゃんとやっていると思う)(えらいなあ)。たのしいから人と話すということが生きていてかなり少ない。そして俺の特徴として、インターネットにおいても人とコミュニケーションをとらない。SNSやオンラインゲームをやりたいという気持ちがない。いいねしようリプライしようという気持ちがない。スレッドに書き込もうチャットをしようという気持ちがない。人と交流したくないからだ。ブログのような壁打ちがいちばんたのしい。壁はものを言わないからだ。聞く人がいようがいまいがかまわない。部屋でひとりぶつぶつ言いながら文章を書いていればそれで満足できる。
基本的にコミュニケーションとはよろこびである。あなたの言うことを聞き、私の言うことを聞いてもらう。そこには快感がある。それを感じる力がまったくないかというと、そういうわけではない。いっちょまえにきもちよさを感じることはできる。ただ、コミュニケーションは常に摩擦を伴う。この摩擦が本当に苦手だ。摩擦とはケンカや不和のようなクラッシュではなく、それより100歩ぐらい手前の震度1ぐらいの揺れ。そこからもう具合がわるい。人と話すことはこわい。人はものを言うからだ。とにかく誰かから意見されることがとても苦手だ。いくら建設的であろうと意見はNO THANK YOU(ダディクール)。すり合わせることができない。だれかと協力して作りあげるということができない。ひとりでやらせてほしい。俺はひとりでしかできない。だからこんなにこぢんまり。
久々に見にきたら、ひっそりと日記が更新されていて嬉しい。
どこにも更新の連絡なんてしてないのにみんなどうやって気がつくんだ。見に来てくれるのはうれしい。
藤原