250927 自分の生まれた年を覚えているようでは


藤本タツキと米津玄師の対談、みなさんもう聴きましたか?

もう、対談が始まってすぐ心をつかまれるんですけど、

藤本タツキ、自分の生まれた年、その西暦があいまいらしいです。

「1992年か1994年なんです、偶数なのは覚えていて…」

 

震えるね。

生きてる藤本タツキ、俺の心の中にある「藤本タツキってこうであってほしいよな」の偶像、それをはるかに超えて藤本タツキ。いまの年齢をパッと思い出せない、じゃないんです。自分の生まれた年を覚えていない。

そうだよな、自分の生まれた年を覚えているようでは、だよな。生まれた年、その数字があなたの創作になにか関係がありますか? ありません。創作にそんなものは必要ない。必要のないものを携えて、それで未踏峰に登れますかっちゅーハナシ。

いや要るだろ。生年月日の情報、その8桁の数字、それは要るだろ。なにかと不便だろ。なんかの申請とか、なんかの登録とか。覚えていたほうが捗るだろ、人生が。記憶するコストと、覚えていないことで発生する一切の面倒ごと、天秤にかけたら覚えたほうがいいに決まってる。でも藤本タツキは覚えていない。要らないんだ、彼には。

正直、かっこよすぎる。悔しい。俺もやりたい。俺も、これ、やりたいです。年齢を聞かれて、答えられなくて、じゃあ何年生まれか聞かれて、それに苦笑。俺もこれやりたいです。やりたいよ。しかし、やりたくてやってるようでは。俺なんか、国勢調査のインターネット回答だってスムーズにできるぞ。国勢調査のインターネット回答がスムーズにできてしまうようでは。 

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