オモコロ自己開示王 | 〇 |
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レシピ本 | ― |
駄菓子可視 | ― |
魯迅 | ― |
ビスコ in ブラジル | IN |
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オモコロ自己開示王
今週はキャシー師がお休みしており大変さみしい。来週は出てくれるだろうか。俺はキャシー師の授業を受けることをとてもたのしみにしている。
今日は仕事終わりに友達と日帰り温泉に行った。なんとなく、自己開示を意識して過ごした。けっこう話した気がする。『つまらなくても特に問題ない』という気付きをもとに、気負わずしゃべった。ときどき、相手の反応から「いま俺が話してることってそんなにおもしろくないんだな」と思いつつも、走る。つまらなくてもかまわないことを知っているからだ。『笑える・笑えない』という尺度でみんな生きていない。
あらためて思えば、俺は『笑える・笑えない』の定規をあらゆるものに当てすぎている。自分がおもしろい人間ではないことを存分に棚に上げ、学生時代からずっと、他人の話すことをどこか批評めいて眺めていた気がする。自分はぜんぜん話さないのに! 卑怯すぎる。自分のおもしろくなさには目を合わせず、クラスで大きな声を出している目立ちたがりの同級生を「20点…♠」ってヒソカ・モロウやってた気がする。ちょっとまってよ。根暗すぎるぞ。隙だらけ。どこからでも刺せる。
勝負しなければずっと上から目線でいられるもんな。「俺のほうがおもしろい」「戦えば勝てる」って。自分のことは98点♦って思ってるからな。コワー ごめんね怖がらせて。でも、クラスのはしっこにいる人はみんなこうです(最終兵器彼女?)。あるある。かなり余裕をもって普通の範疇だから。ぜんぜん、よくある青春なんでね。お願いしますね。
たまに言っているが、生活(家や学校)に『笑い』がない人間は『笑い』を外から摂取しようとする。古来より、深夜ラジオにハマったりする人ね。俺らの世代は2ちゃんねる、ニコニコ動画など。こうなるとまずい。『笑える・笑えない』の定規を生活に持ち出してしまう。みんなが使ってない定規を。この定規の硬さが、振ったときに手の内に感じるたわみが、これだけが拠り所になってしまう。
あー これ書いてたらなんかちょっとずつ学生時代の痛みが鮮明になってきた。しょうがないかも。「こいつらつまんねえ」って思うのは。防衛なんだ。心を守るための。「ハブられてるんじゃなくて俺が距離取ってるだけ」って。「友達ごっこはダサい」って。そう思わないと守れないんだよな。そう思わないと壊れちゃうよ。『笑える・笑えない』の定規を使えば、みんなを小さくできる。お笑い芸人と比べて、コメント職人と比べて、みんなこんなに小さい。とるにたらない。付き合う必要がない。定規を使えば、そういう誤った答えを自信を持って導き出すことができた。
そうか、この定規に守ってもらっていたんだ、俺はずっと。ありがとう、定規。俺の心を守ってくれて。俺はもうきみに頼ってはいけないんだ。さようなら。きみはまたどこかの、俺に似た誰かの、さみしい心を守ってあげてくれ。