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オモコロ自己開示王


あいかわらずのオンライン英会話。
今日キャシー師に「オンライン英会話は平日しかやってない。家だと彼女にオンライン英会話やってるとこ見られるから恥ずかしい」ということを話したら「Oh Jin, Don’t be shy😎 She’ll be proud of you!」と言われた。
言われてみるとたしかに、「死んでも見られたくないぞ!」という強固なきもちはなくなってきているかもしれない。見られても大丈夫かも。それは英語が上達してきているから恥ずかしくないということではなく、自分が人と話して笑ったりしているところを人に見られても大丈夫な心になってきているかもしれない、ということです。いけそうかも。すごいや、成長じゃないか。
自己開示というものを意識しだしてから気づいたことがある。まず「話す人のまわりには人が集まってくる」ということ。そして「その話はかならずしもおもしろくはない」ということ。誰かが話しているとき、その話がおもしろくなくても不快感がなければ人が集まってくる。主体的に話す人がいると周りにいる人間は話さなくていいので楽なのかもしれない。たしかに自分もそういう人のところに寄っていく。楽だから。これは男の集団だと特に顕著かも。大人の男性ってぜんぜん話さないから。でも沈黙は気まずいので間を埋めてくれる人の近くに行く。話す男は男の集団だと貴重なので重宝される。話しているという行為自体が重要なのであり、話す内容に大きな意味はない。別におもしろくなくてもいいんだ。おもしろくなくてもいいというのは救いだな。おもしろくなくてもいいなら俺にもできるかも。