220215 『めぞん一刻』を読んで

 

サーベルタイガーの和名:剣歯虎  かっこよ

 

① めぞん一刻

 

① めぞん一刻

『めぞん一刻』を読んだんですけどね。

昨年末にDLsiteで小学館系列のマンガの販売が始まりまして。わたしはDLsiteのポイントを死ぬほどもってること、そしてお得なキャンペーンがあったことが相まっていっぱいマンガ買ったんですよ。3万円分ぐらい。以下の通り。

『うる星やつら(新装版)』全34巻
『めぞん一刻(新装版)』全15巻
『1ポンドの福音』全4巻
『ピンポン』全5巻
『鉄コン筋クリート』全3巻
『伝染(うつ)るんです。』全5巻
『チ。-地球の運動についてー』全8巻
『大ダーク』既刊全5巻
『葬送のフリーレン』既刊全9巻

買ったな~ 買った買った。買ってぜんぜん読んでない。本当に読んでないな。去年(おととしか?)DMMブックスのセールのときに買いあさったマンガも半分ぐらいしか読んでないし。読む時間がないわけじゃないんだけど。どうしてなのかしら。はてさて。

そんでようやく『めぞん一刻』から読み始めてるのですけど、おもしれ~ なんでこんなにおもしろいの~ 高橋留美子~ 高橋留美子 イズ リビングゴッデス あまりにもおもしろい。『うる星やつら』のアニメも、いまの子ら、いまの小学生らにウケているという話を聞くんですよ。すごすごない? いくらなんでもすごすごない? 普遍じゃん。不変じゃん。動詞の活用でいえば現在形。高橋留美子 イズ リビングゴッデス

出典・『めぞん一刻(新装版)』11巻

ラブコメって人の営みを描くものだから、当時の様式がみえていいですね。携帯電話もパソコンもない時代の生活様式。みんな、コーヒー飲みながらおしゃべりして、たばこ吸いながら考えごとして、お酒飲んでさわいで。人とのコミュニケーションがなによりの娯楽で、ひとりぼっちは退屈。もっとにぎやかでおおらかでタフな時代。そしてみんなむちゃくちゃで本当にひどい。『一刻館』の住人、5人のレギュラーメンバー、一の瀬、四谷、朱美、五代そして響子さんにさえそれぞれに「それは人としてダメだろ」みたいな”ひどさ”の部分の描写があるんですけど、それが、それがね、とてもうれしいんだなあ。

いまのラブコメの登場人物ってぜんぜん不誠実じゃないんですよ。ラブコメなのに。なんでかというと、不誠実なキャラクターは読者や読者じゃない人にめちゃんこ怒られるから。いまは東城と西野で揺れたりしない。ずっと一途。あまりにホワイト。浮気なんてもってのほか。いまいちばんおもしれえラブコメ『正反対な君と僕』とかは最たる例。全員まともだしいいやつ。『僕の心のやばいやつ』。市川は山田しか見ないし、山田は市川しか見ない。これが現代のラブコメ。

まあフィクションはいいよ。でも現実世界はさあ? いまもむかしも、みんなぜんぜんまともじゃないし、いいやつでもないじゃないですか。終わってるカスばっかりじゃないですか。でもみんな、カスでいるとめちゃめちゃ怒られるから「自分は正しい人間でっす!」というホロウの仮面をつけてんじゃん。カスなのによ? そいで、なんかうっかり仮面がはがれてカスであることが露呈したら、みんなでよってたかってボコボコボッコのフルボッコじゃないですか(やぶらこうじのぶらこうじみたいに言うな)。殴ってるほうも仮面被ってるだけでカスなんですよ? そう、いまもむかしも変わらず、人間はカスなのにね。

ストローばっかし紙にして、それで満足げな顔をしている俺たち。フラペチーノの容器はプラスチックのままなのに。正しい世界であろうとするあまり、建前ばかりが先行している。人間の根源的なダメさが改善されていくスピードは前に進んでいるかどうかわからないぐらいゆっくりなのに、コンプライアンスコンプライアンス表層的な正しさばかりが先へ先へGOGO。その現実と理想のギャップを埋めるため、ウソが生まれる。ねじれが生まれる。いくら時代の流れとともにフィクションが潔癖になろうとも、人間はしっかりダメなままなんですわ。な? これが現代のつらさなのよ。な?

それに対して一刻館の面々ですよ。不誠実な人ばっかり。たとえば一の瀬のおばさんなんかは、電話の盗み聞きはするわ、毎日酒を飲んで暴れるわ、賢太郎ほぼネグレクトだわ、現代のコンプライアンスを適用したらアンチスレpart135なんですけど、それでも、一の瀬のおばさんは5人の主役のひとりなのよ。上記のような終わってる人物像であるのに、読者の立場からしたら友人であり味方なんですよね。これがすごく、現代から眺めると新鮮に映る。この終わってる人物こそが一の瀬のおばさんである、というままに許容されている。ダメな部分もあるけど、あくまでふつうの人の範疇として。この時代はもっと、ふつうの人がダメであることが許されていたというか、許されていたというよりは、人とはダメなものであることがもうすこし当たり前に理解されていたというか。それが、現代とはぜんぜん違うところだな。

一の瀬のおばさんだけじゃない。マジの主役である五代はずっと、本当にずっと七尾こずえちゃんに対して曖昧な態度をとり続けるし、響子さんはマジでずっと三鷹さんに曖昧な態度をとり続ける。4年も5年も。青春を4年も5年も!? 結局フるのに!? いい加減にしろ。そんなことしていいわけないだろ。なあ!! 不誠実だろうが!! 許されるわけないだろ!! カス!! おまえらの鈍感とやきもちと駆け引きが産んだ被害者たちだぞ!! おまえ、そんなん、現代に連載してたら月曜日のたわわだぞ!!???!?!?!

でもね、人間って、不誠実なほうがより自然な心のかたちだと思うんです。パートナーや好きな人がいても、人はだれかにやさしくされれば嬉しいし、口説かれればなびくし、頼られれば悪い気はしないし。いい人がいようがいまいが、そういうもんじゃないですか。たしかにそういう態度は良くないですよ。良くないけど、それがほんとの正直じゃないですか。そういう正直が、『めぞん一刻』にはある。そしてこういう作品は、これから先の、もっともっと表面的に美しくなっていく世界では創ることができない。

『めぞん一刻』はオーパーツだ。ありがとう高橋留美子。この作品を40年後の未来に遺してくれて。

みんなも読んでくれ。『めぞん一刻』には、現代人の味蕾にしか反応しないよさがある。

出典・『めぞん一刻(新装版)』 10巻

それにしても『めぞん一刻』、何度かある惣一郎さんの命日回が本当にどれもすばらしい。吹き抜ける風のようにさわやかなせつなさがある。桜餅が買えずにがっかりしている惣一郎さんのエピソード、あまりにもささやかで本当にうつくしい。ファンタジーではない人生のうつくしさの色をしている。

 

「220215 『めぞん一刻』を読んで」への4件のフィードバック

  1. 名前「ち〇ぽ」にしても大丈夫そう?

    いいよね~~ めぞん一刻!! しんみりしちゃう。

    藤原さんはストーリーの表層をなぞるだけでなく、より深い彼らの関係性まで考えるような、集中力を必要とする読書をなさるからあんまり本に手が伸びずに他の行い易いことをしてしまうんじゃないんですかね。

    でも読み込んでこそ楽しいものだと思いますっ!!

    1. 歳をとるごとにおもしろいものがしんどくなるんじゃ だから、『チ。』がすごいすごい言われると読むのに大きな覚悟がいるんじゃ だから避けてしまうんじゃ 毒にも薬にもならない弱い刺激の娯楽ばっかり見てしまう それはマジでよくない

      藤原

  2. 読んだことない!めちゃめちゃ面白そ〜。その時代の空気感が垣間見えるのいいなあ
    というかDLsiteってエッチコンテンツ以外もあるんですね エロゲ買ったことしかないからスケベだけが見るサイトだと思ってた 反省

    1. そういう大手出版社の出版物が買えるようになったのは最近ですね 集英社も小学館も去年から 
      マジでありがたい いまは本当に体感タダでマンガを買えるようになった
      これもDLsiteに奉仕を続けポイントをため続けたおかげ
      みんなもファンザから乗り換えよう!

      藤原

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