220922 明日、レーシックの手術

明日、レーシックの手術

  1. 明日レーシックの手術

明日レーシックの手術

こわい。かなりこわくなっている。昨日まではまったくこわいという思いはなく、むしろウキウキしていた。金を払えば視力が回復し、俺はすぐにこの強度近視の生活を忘れてしまうのだ。なんて最高なんだろう。最高なのだからウキウキするのもやむをえまい。

しかし、手術前日の朝から3時間おきに点眼する目薬、銀行でおろした手術費用の札束、新宿行きのバスの往復の予約、それらが、俺を緊張させる。身体をこわばらせる。心がさざなみだつ。かなりこわい。かなりこわくなってきてるぞ!!!

どうするんだ、手術の真っ最中に大きな地震がきたら。クリニックが入っているビルが火事になったらどうするんだ。くしゃみしたらどうなるんだ。俺はどうなるんだ。俺は!!

そういう極端な事故に対してのこわさもあれば、手術後の生活に対する恐怖もある。いまでも人よりまぶしさに弱いのに、これ以上悪化したらこわい。サングラスなしで外を歩けなくなるんじゃないか。パソコンのまぶしさで具合がわるくなってしまうんじゃないか。夜に運転できなくなるんじゃないか。

やべ~ 逃げ出したい気分だ。ぜんぶなかったことにしたい。メガネでいいです。メガネでなんの不都合もございません。一生輪郭がゆがむぐらいのメガネで生きていきます。そんな、そんな大きいリスクしょってまでやることなのか!? びっくりするぐらいの大金はたいてよお!! 75万円払う。75万円!?!?!? 胃液が上がってくる額だな。いったい何本オモコロ特集書けばいいんだ。何冊エロ本拾って何日字の練習して何種類の植物を見つけなくちゃいけないんですか!?!?!? ヒィ~~~!!! マロマロマロマロ

一般にレーシックはそこまでお金はかからない。もうちょっと安い。でも俺は強度近視であるし、一般的な人より間違いなくまぶしさによわいし、夜間の運転もするので「いちばんいいのをたのむ」をした結果、75万円になった。これはまあ、しょうがないともいえる。しょうがないのではあるが。「しょうがない」という力のないひらがなで納得できるだけの金額なのだろうか。75万だぞ。たしか富士山の山小屋で70日間休みなくブッ通しで働いて、やっと下山するときに貰った封筒に入っていたのがそのくらいの金額だった気がする。俺の70連勤の対価が一日にして消える。もっと正確にいえば手術は片目につきおよそ数十秒。それで俺の70連勤、2か月と10日、その労働と引き換えに得たお金が消える。すごいぜレーシック。矢沢永吉の名言を思い起こさせる。(おまえの年収、YAZAWAの2秒)

やべ~

どうなるんだ~ たすけてくれ~

日常生活に支障でるようになっちゃったらどうしよ~

ひぃ~~

うまくいきますように

  1. さかなのこ

『さかなのこ』を観たんですけれど。結構まえ。公開直後ぐらいに行った。つまり2週間ぐらいは経ってるか? 観た直後からずっと言おうと思ってたんですけど、めちゃめちゃおもしろいです。やっと言えた。言うタイミングがなかったから。ようやく伝えられてよかった。めちゃめちゃおもしろかった。すばらしい邦画。

でももうちょっと忘れてきてるな。時間を置きすぎた。覚えているかぎりよかったところを書く。

・上質な不良コント
・不審者としてのさかなクンを映す誠実さ
・ミー坊のお母さんの異常さについて

・上質な不良コント
観ればわかるが、完全にコントの時間があり、そのコントがめちゃめちゃおもしろい。キャストとしてコントに強い芸人を3人も出演させているぐらいだからそういうのが好きな監督なんだろう。ワードセンスで笑わせるゴリゴリのコントの時間がある。
これは言葉で説明するのがむずかしいので観てくださいとしか言えない。おもしろいです。フリオチや伏線もしっかりしていてたのしいけど、とにかく言葉の選び方で笑ってしまう。このコントだけでも観る価値はある。

・不審者としてのさかなクン
結局この映画のなにがすばらしいかというと、不審者のさかなクン(ギョギョはかせ)を描いたことにつきる。この映画ではさかなクン自身がさかな好きのヤバいおじさんを演じている。このことはけっこう話題になったので多くの人が知るところかもしれないが、ギョギョはかせがこの物語に存在するかどうかで、映画の見え方はかなり変わると思う。
この映画はみんなの『好き』を応援する映画でありながら『好き』だけを追い求めることのリスクをしっかりと効果的に表現している。この役にさかなクン自身を起用したのはすごい。役者がさかなクンっぽいニュアンスでギョギョはかせを演じるのと、さかなクン本人がギョギョはかせを演じるのではブローの重みがまるっきり違う。こうだったかもしれない未来が鮮烈に映る。表面的なコミカルさの奥にじっとりと湿った怖さがある。これまで私たちが魅力的な人気者『さかなクン』というアイコンに親しんできた時間をフリにつかった強力な演出だ。とてもあざやか。
この不審者としてのさかなクンがいてこそ、『好き』を追うことのおそろしさと気高さが際立つ。『好き』を徹底して追うことに大きなリスクが伴うことはだれしも理屈と感覚でわかっていることだと思うが、そのリスクをはっきり視覚でとらえられる形で描いたこと、フィクションよりひとつ現実に近い形で表現したこと、それがこの映画のすごいところだと思う。

・ミー坊のお母さんの異常さについて
ミー坊(のん)のお母さんは、まわりの子供とすこし違うミー坊に深く愛情をそそぎ、のびのびと育てる。その母のもとで個性をぐんぐん伸ばしていったミー坊は、魚の魅力にのめり込み、ついには魚のことがとっても大好きな人間として人気者になっていく。
実在の人物がモデルになっている映画なのでこういうことを言うのはすこし下品ではばかられるが、この映画はこのお母さんのことを、ちょっとおそろしく描いている(ように見えた)。夫から、もしくは教師から「ミー坊の将来を考えて魚のこと以外も勉強させたほうがいいんじゃないですか」と言われても「ミー坊のやりたいことだけやらせます」というスタンスを一切崩さない、この人にはなにを言っても通じない、この人の心にはどんな正論も響かないと思わせるような、まわりを諦めさせる静的なパワーを強く放つこの女性。この女性の瞳にはおそろしさが宿っている。これは井川遥の演技力のなせる技かもしれない。
子を信じる母の愛によってミー坊は大成した、というのはたしかに正しい一面であり一次的にはそういう見方をするべきだと思うのだが、この映画ではあえてそこまで『母の愛』を美しく描いていないと感じた。『母の愛』に危険性や影をうつしている。そこが素敵だと思った。ミー坊とミー坊のお母さんはただ賭けに勝っただけだ。そして賭けという表現は不審者としてのさかなクンの存在にも通じる。必ず勝てるギャンブルは存在しないし、負ける可能性とリスクを正しく提示するのがまっとうな賭場だ。『母の愛』があればなんでもうまくいくと誤認させるのは景品表示法違反でしかない。

なんか暗い感じの寸評になってしまったけど、そういう映画ってことではないんですよ。とてもあかるくたのしく気持ちのいい映画です。おもしろいです。3連休にぜひ。

 

「220922 明日、レーシックの手術」への10件のフィードバック

    1. もうちょっと可愛げのあるレベルの近視だったらいいんスけどねぇ〜
      そろそろもうレーシックしてもいいだろという気持ちはたしかにあった
      ただめちゃめちゃめちゃこわい

      藤原

  1. 私も重度の近視でレーシック手術を考えている身なのでつられて怖くなりました。どうか何事もありませんよう…、祈ってます。

    1. まああしたにゃあ「レーシック最高!」しか言わないレーシックの悪魔になってると思いますので、心配してくれるな
      きみもこっちにこい

      藤原

    1. ツイッターとかで「無事終わりました」とか書くといいねとかリアクションが恥ずいのでここで言いますが、無事終わりました
      まだシパシパしているのでめちゃめちゃ良くなった実感は薄い
      またあしたテンション上がったかんじでサイコ~!って言います

      藤原

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